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お寺様・法話

皆さま、こんにちは。

今日は、先日お通夜の席でのお寺様のご法話をご紹介させていただきます。

「疫癘の御文」の後、故人様の生まれた年の出来事、戦争を乗り越え一生懸命生きてこられたことを話されました。そして…

「生まれた人は必ず亡くなります。御文の中で親鸞聖人も、”生まれるということは、いつかはその命もなくなるということですよ。”と書かれています。私たちは、日々生活に追われていると、命が有限だということを忘れてしまいます。

そして私たちは、生き物の命をいただいて命を繋いでいます。食べ物を買うためにお金を払いますが、そのお金は生き物に渡っているのではありません。牛も魚も米も野菜も、1円のお金をもらうことなく、命を差し出しています。私たちは他の命に生かされているのです。また、私たちの命は、自ら手に入れたものではありません。父がいて母がいて、そのご縁の元に私たちは生まれることができました。その父と母もまた父と母から命を授かりました。数えきれない命の繫がりの中に私たちがいます。生まれた時は親の世話になり、年老いては周りの世話になります。それが生きるということであり、このいただいた命に感謝して一生懸命生きなければなりません。亡くなってしまわれたことは悲しくて寂しいことです。そのことを同じように受け止め、共に悲しみ、共に癒し合ってほしい。人は支えて支えられて優しくなれるのです。

仏様になられた故人や、沢山の仏様が私たちを見て下さっています。ですから、私たちは出来るだけ正しく生きようと頑張らなければなりません。仏様に手を合わせ、耳をすませ、ご先祖にお参りし、命に感謝し、繫がりに感謝し、周りの方に感謝し、一日一日精一杯頑張りましょう。」という、ご法話でした。「新型コロナウイルス感染症」が拡がる中、不安な日々を過ごしている今だからこそ、感謝の心や思いやり、自分ができる精一杯のことをする時だと、改めてご法話の中で教えられた気がします。

それでは、これからの時間も体調に気を付けてお過ごし下さい。  川上